まともな奴はひとりもいねえぜ

忌野清志郎
ロックンロールの話をしよう。

ロックンロールの定義

ロックンロールとは何か?
どうだい?
さくっと説明できる奴いるか?

よし。

今ここでさくっと説明できた奴がいたら、そいつはフェイクだ。
さくっと説明できるようなもんじゃない、例えるならば「生きるとはなんですか?」とか、それに匹敵するくらいでかいテーマの話なわけだ。

したり顔で「つまりね〜」なんて始めちゃったアホ! まるで信用できねえ。
さっさとブラウザを閉じて帰れ。

とはいえ、ロックンロールが好きならば、それぞれめいめい各々自分なりにロックンロールとはかくあるべきみたいなぼんやりとした概念くらいは見えてくるはずではある。もちろん、さくっと説明できはしないのだけれど。

3コードのシャッフルビート、もはやそういう話じゃねえってことだ!

というわけで、ぼくなりのロックンロール論を唐突に極めて私的に、おっ始める次第。
固有名詞も多く出てくるが、ぼくに頼らず知らない言葉は自分で調べてくれ。

出会いの物語

ロックンロールとはまず、出会いの物語だ。
出会わないと始められないんだ。

ひとりでギターもベースもドラムもやってしまう、レニー・クラヴィッツとかベックみたいなスタイルのミュージシャンもいるけれど、彼らが音楽史的にロックンロールな音を鳴らしたとしても、それはロックンロール風味付けのロックンロールではない何かだ。わかるかい?
別にそれは彼らを認めないとか好きじゃないとかそんなちゃちな話じゃないぜ。なんなら、相当聴いた上で言っているんだ。

ひとりじゃロックンロールはできない。
白人が黒人音楽と出会ったように(散々差別されてきた黒人が、白人から憧れられる日がやってきたんだ!)。ジョンがポールに出会ったように。君がギターに出会ったように。

そう、ロックンロールバンドには二人のスターがいる。
ジョンとポール
ミックとキース
ピートとカール
ヒロトマーシー
キヨシローとチャボ
……

と、ここまで書いてから気づいたが、ビートルズ以前のロックンロール赤ちゃん期、ロックンロールという概念がこの世に現れたばかりの時期、個人名義でロールしてる奴らばかりだった。

チャック・ベリー
リトル・リチャード
エディ・コクラン
エルビス・プレスリー

などなど

はてどう説明したものか……

でもそうであることに疑いはない。
ジョン・レノンのソロがビートルズより優れているのかと言われたら、まあもちろん名曲もあるのだが、総合点でいったら絶対に勝てないだろう。
ミック・ジャガーだって、ベイビーシャンブルズだって、同じだ。

ぶっちゃけ
「ロックンロールとは出会いの物語」
って響きいいよな、くらいのノリで書いて今ここに至るって感じだから、文句言われても困る。この適当さもロックンロールは許してくれるんだ。

適当さ(例えば楽典的に)

そう!
ロックンロールは適当さを内包している、これはデカい。

先に少し触れた3コードでシャッフルビートっていうあくまで建前のような楽典的解釈のロックンロール、まあ当然それがロールではあるのだが、ラモーンズとかみたいなまるでスウィングしないガチガチの縦ノリなパンク、これをロックンロールと呼ばないのかい? いや、ぼくは呼ぶ。世界はそれをロックンロールと呼ぶ。

じゃあロックンロールってなんなんだよって、これが適当で曖昧なんだ。

とりあえずスタートは白人が黒人に憧れたワナビーミュージックであるのは間違いない。
ブルーズ、ソウル、そういうブラックな音を白人が自分なりに解釈していった結果がロックンロールだ。
あんなしゃがれた野太いギタギタ声で歌いてえ! そう思った連中がバンドを組んだんだ。それがそう! 例えばローリング・ストーンズ

その辺は映画『キャデラック・レコード』なんかを観ると一発で理解できるはずだ(ビヨンセがエタ・ジェイムズを演じていて「いやいや美人過ぎるだろう? 和田アキ子新垣結衣が演じるみたいなものだろう?」なんて考えたりもする)。

そこから大まかに黒人はブルーズやソウルを歌い継いでいったのに対し、白人は白人でワナビーなロックンロールを独自に進化させてゆく。
更に黒人に憧れた白人、に憧れた日本人もロールし始めたりして、そんなこんなでロックンロールはどんどん幅が広がっていくわけだ。

ここから余談。
ぼくもご多分に漏れず「ごじゃごじゃなしゃがれ声で黒人みたいにロールしてえ」とか考えたから、ユニオンなんかでブラックミュージックコーナーを見て「なんかこれは良さそうだ」ってアルバムを片っ端からピックしてた時期があった。
オーティスやらサム・クックやらレイ・チャールズやらハウリン・ウルフやら、基本は抑えたとしても、そっからめちゃくちゃ深い海が待ってるんだ黒人音楽は。
だからもういちいち「これって有名なアルバムなのかな? 名作?」なんて調べるのが面倒になってきたのもあるしとりあえず良さそうなジャケットなら買っとくか、みたいな。それでコースターズのザット・イズ・ロックンロールなんかにも巡り会ったわけだしジャケットって大事だな。
デジタル世代じゃなかなかこうもいかないだろうけど、まあSpotifyなんかでもバンド名やジャケットのアートワークで「ちょっくら聴いてみっか」なんてなることもあるからさ、適当なもん作っちゃいけねえよ。
これも出会いだ。
以上余談。

話を戻そう。

ぼくたちは「これはロックンロールなのか?」という疑問にぶち当たったとき、明快な解を出すのが難しい局面が多々ある。
適当で曖昧。
それもまたロックンロールなんだ。

単純さ

曖昧という言葉と逆行するようだが、ロールバンドは単純である場合が多い。
例外も多いが、とりあえず、そういうことにしよう。

なぜならばいつの日もロックンロールはボーイズ&ガールズのためにあるからだ。

ボーイズ&ガールズが求めるのは、つまり正義が最後に必ず勝つようなシンプルな構造世界であり、難解な結末ではない。

分かるかい?
なんぼロックンロールって何なんだと問いかけたところで、結局シンプルに「かっこいい!」と思えるものが正義だってこと。

逆に言えば、どれだけブルーズやソウルを聴いて、ビートルズを真似して、揃いの衣装を着たところで、かっこ悪いバンドはロールしてねえんだ。
ロックンロールバンドはいつでもスターで、ヒーローじゃなくちゃならない。

その点で、例えばジェットのアー・ユー・ガナ・ビー・マイ・ガールなんかは最強のロールナンバーだ。
タンバリンの音から始まって、ギターの例のリフがなった瞬間確信できる、「これは正しくロックンロールである」という厳然たる事実。

始まっちまえばこっちのもん、あとはもう踊れ! 騒げ!
それだけだ。

もう3000字

長く書きすぎた。

とにかくロックンロールについて語ろうとすれば3000字でも足りないってことが分かったな。今回の収穫はそれだけだ。

世界は広いが、誰にでも触れることのできる最高の武器、それがロックンロールだ。
ぼくが死ぬまでに一番好きな音楽ランキングでこれを越えてくるものが発明されるだろうか?

たぶん、無理だろ、それは。