カフェイン!カフェイン!カフェイン!

コーヒー豆
コーヒーを飲まない日はない。

ヴィクトリア

最後にコーヒーを飲んだのはおよそ10秒ほど前。アメリカンスピリットを吸ったのは2秒前、進行形でイヤホンからはキンクスのヴィクトリア。
万事快調。

そもそもは、中学1年か2年の頃、大人の真似をしたくて飲みだしたと記憶している。
たばこを吸い出すのも大人の真似、ちょっとはみ出しものを気取る、同じ感覚である。

たばことコーヒーは合う。合いすぎる。
これ以上の組み合わせは多分ない。
コーヒーは苦ければ苦いほどいい。苦くて美味しいものなんてそうそうない。
かなり特殊な部類の飲料だと思う。

当然ミルクや砂糖は使わない。

たばことコーラとかも合うといえば合う。
オレンジジュースとかは合わない。でも、ファンタのオレンジなんかはまあいける。暑い日は炭酸でもいい。

でも、やっぱり、コーヒーに勝るものはない。

ウォータールー・サンセット

たばこを吸っていると喉が渇くので、飲み物が欲しくなる。
だから、家にいるときは常にコーヒーが傍らにあると思っていただいて差し支えない。水のときもあるけれど、まあほぼコーヒーだ。

しかし不思議なもので、飲み物がない状況でたばこを吸っていると無性にコーヒーが飲みたくなるのだが、コーヒーがそこにある状態でたばこを吸い始めると、一度コーヒーのことは意識から消える。
5分くらい経って、たばこは短くなり、もみ消される。
その際にようやく、「そういえば俺はコーヒーが飲める」と思い出し、ありがたやありがたやと思いながらたばこで燻された喉をコーヒーで洗う。洗うという表現が正しいのか分からないが。

これは、風邪をひいたときだけ健康のことを意識するのに似ている。
当たり前に感じることは、大体ありがたいことなのだ。

リヴィング・オン・ア・シン・ライン

コーヒーにこだわりがあるのかと言われると、そういうわけでもない。
夏場はペットボトルのコーヒーばかり飲んでいるし、冬場はインスタントだ。
まあ、店で飲んだほうが美味しい(環境の快適さも含め)くらい理解できるけれど。「インスタントなんてコーヒーじゃない!」なんて思想はない。インスタントもしっかりとコーヒーしている。

あまり、上等な味覚ではない。

ペットボトルの既に出来上がったコーヒーはどうしようもないが、インスタントは濃さを自分でどうにでもできる。
お湯に対しこれ以上溶けない(という理科の用語があった気がするが、思い出せない。飽和? 調べない)ところまで粉を入れる。
本当に溶け切らず水面でダマになっているときもある。

苦いほどいいのだ。
七味を食べ物が見えなくなるまでかける人の発想もこんな感じなのだろうか。

ベター・シングス

コーヒー・アンド・シガレッツという映画がある。
そんなに面白くはない。
イギー・ポップとか、ホワイト・ストライプスとか、ロックスターたちが喫茶店でダベっているのを観るだけの映画である。
面白くもないけれど、観て損をするほどでもない。

ロックスターとコーヒーとたばこは絵になる。

電子たばことか、加熱式たばこ? とか、ああいうのはコーヒーに合うのだろうか。
コーヒーではなくたばこの話になるけれど、あの映画の中でイギー・ポップがiQOSを吸っていたらとてもがっかりするだろう。

ピクチャー・ブック

シャッフルされたキンクスはピクチャー・ブックを演っている。
コーヒーが冷めてきたが、猫舌だから丁度いいのだ。

ありがたやありがたや。
いつもそばにあっても、そのありがたみを忘れない。
そういう話だ。