憧れられたい?

the stone rosesのi wanna be adoed
色々な「好き」の話。

手の届く「好き」

親しみがわく「好き」と、手の届かない憧れへの「好き」と、自分の日頃感じる「好き」は大まかにいうと二種類ある。

まあ親しみを感じていても実際手の届かない位置だったりはするんだけどな。

先日、ちょっとした芸能人をたまたま見かけ(芸能人という括りでいいのか分からないが、よしもとの芸人を経て今はいろんな媒体に顔を出してる感じの人。名前は伏せておこう)、ぼくはその人のことが好きでかなり知っていたから、背後から

「山崎(仮名)さ〜〜〜ん!」

と声を張り上げた。

「は〜〜〜い!」

声の距離感から察したのか山崎氏もそれなりの声量で応答し振り返った。
握手してくださいと駆け寄る。
山崎氏は気さくに握手に応じてくれ、それから世間話のようなものをしばらくする。

そこそこ長いこと話してしまったので、あまり引き止めても申し訳ないと思った。
時間大丈夫ですか、と訊ねると、ええ、まあ、そろそろいきます、と答える山崎氏。

ぼくも話し始めると長いタイプな気がするが、もっともっと止まらないファンが来たらどうするのかな、と疑問に思ったがそれをきいたら結局ぼくも止まらないファンになってしまって話が終わらないだろうと自分を戒め、口を閉じる。

山崎氏と手を振って別れた。

手の届かない(はずだった)「好き」

とあるミュージシャンAが、先輩ミュージシャンBのことをめちゃくちゃ好きでリスペクトしていた。Aは学生時分からBの曲を聴きまくっていた。
それを常日頃言っていたらたまたまあるイベントで一緒になった。
Bは「君がAかー!」と酔っていたこともありハグをしたがAは直立不動。
AのバンドのCDを後日聴いたBは単純にいいバンドだと思い、Bのバンドのライブの打ち上げに誘う。
その時Aは「仕方ねえな」と思ったという。

「仕方ない」……なんでだ?
なぜならば、好きな人の人生にあんまり登場したくないから。らしい。

何その考え方!?
とも思うけれど、理解もできる。憧れが近いところまで来ると何かが壊れてしまう気もする。

特にロックバンドなんて、偶像っていうか、見えてるとこが美しいのであって、見なくていいとこもたくさんあるしね。

最終的にはAたちはBが主催するレーベルに所属することになるんだけど、それはまた別のお話。

ツッコミ待ちの余白

どういうタイプの好かれ方をするのかってキャリアとか知名度にもある程度関係するとは思うけれど、やっぱり本人のキャラクターが一番大きいんじゃないかと思う。
例えば出川哲郎なんかは誰もが知る有名人だしテレビで見ない日はないくらいに売れているが、なんとなく手の届かない憧れの存在というイメージからはかけ離れている。

今ってウェブが発達してるし充実してるから、手の届く「好き」をものにするっていうかさ、そっちのフェイムは誰でもやろうと思えばある程度のところまでいける気がするんだよね。
でも憧れの「好き」はある程度天賦の才なんだと思う。

ぼくははあちゅうという人のことをよく知らないが

やることなすこと炎上する人、というイメージは持っている。
よく知らないから多くは語らないし語れないけれど、興味のないぼくの目に入ってくるとき彼女は大体罵詈雑言を誰かに言われている。

そういう人間がどうしてインフルエンサーたりえるんだろうと不思議でもあるが、やっぱりこれも才能で、嫌いの数だけどこかに崇拝があるのだろう、とぼんやり思っている。

ちなみに

山崎氏はもともと憧れよりも身近な「好き」だったため、人生に少しお邪魔したけれど、特別な感慨はなかった。
ただ、その日は少しテンション高めで過ごした。