たとえばひとつのチョコレートを分け合うこと

キッチン
人生で1度だけ同棲の経験がある。

経緯

ぼくが初めて一人暮らしをすることになって、その際周囲の人間にそれを伝えた。
当時ぼくは駅ビルにあるCD店で働いていて、実家からそこに通っていたのだけれど、埼玉から都内へ引っ越すためやめることになった。

その駅ビルには元カノ(以下A)も別のテナントで働いていて(その駅ビルで出会って付き合ったわけではなく本当に偶然別れた後に向こうが働き始めてお互いびっくりした)、一応やめる旨を報告した。
じゃあ最後に飲みにでも行きますかということになった。

結果から言うと、Aは泥酔し、正体をなくす飲み方とはこれのことかと思うようなさまになっていたので、仕方なくラブホテルに連行した。
この時ぼくに下心がなかったというと完全に嘘になるが、そんなこともままならないぐらいにAは酔っていたので、宿泊しただけで何もしなかった。

そのことにAはとても感動したらしい。あとから聞いたんだけどね。
で、結局引っ越したあともぼくの家にたびたび遊びに来るようになり、付き合っているのかどうかよくわからない関係が続いていた。

「そういえば、わたし、最近かわいくなったねって言われるんですよ」
「あ、そうなの」
「『彼氏できたからですかねえ』って答えたんです~」

ナチュラルに、こちらを試す感じでもなく言ったので、もう一度「あ、そうなの」と答え、ぼくは彼氏なんだなと気づいたのであった。
その後隣の駅に元カノ改め彼女(結局今からすれば元カノになってしまうのだが)が引っ越してきた。ぼくの家は駅から10分くらいのところだったのに対し、Aの家は2分くらいだったので、自分の家まで歩くのが面倒な時に自分の最寄り駅を素通りしそのままAの家に行っていた。
で、結局、自分の家を借りている意味が希薄になってきたのでなりゆきで同棲が始まった。

実情

ぼくは当時居酒屋でバイトをしながらのバンドマンだった。付き合ってはいけないと言われる人種である。
Aはカフェで働いていたので朝が早く、ぼくの寝ている間に出かけて行った。とはいえごそごそと準備している間にぼくはいったん目が覚めるので、「いってらっしゃい」「いってきます」のくだりは毎日ちゃんとあった。

居酒屋のバイトは夕方から出勤である。正確に言えば出勤時間が決まっていなかった。
ぼくはキャッチなので、たとえば金曜日とか集客が見込める日は早めに行って張り切って声をかけてもいいし、反対に日曜の夜など社会人が早めに帰宅しようという日は気合を入れてもあまり意味がないので、遅い時間に出勤してもいい。
店からすれば歩合給のキャッチがいつ来ようが、お客さんを引けるならラッキーだし、引けないなら給料を出さないだけの話。

まあそれはおいといて。

16時半くらいに家を出て、池袋へ向かう。
仕事が終わったら、キャッチ仲間と夕飯を食べに行こうだの、麻雀をやろうだのという話になる。
その誘いに乗ったり乗らなかったり、なんだかんだで23時ごろ帰宅し、場合によってはAは既に寝ている。

でもぼくがごそごそとやっていると目を覚まし「おかえり」「ただいま」のくだりはある。

こう書くと非常に無味乾燥なようにも見えるが、生活のリズムは違えどとても仲良くやっていたと思う。

外出

それまではデートとなるとどこかに出かけるのが基本だった。
デートに行く際は服装からお互いばっちりめかしこむ。
しかし同棲をしていると、寝癖ぼさぼさ、ノーメイク、そんなすっかり力の抜けた状態で対面している時間の方が圧倒的に長い。

これはお互いの性格によるところも大きいが、どこかに出かけるのが好きなわけではなく、デートをするために目的地を決めていたタイプだったぼくたちは、必然的に遊ぶにも近場が多くなった。
寝癖ぼさぼさノーメイクのまま、近所の公園にでかけ、少年野球を眺め、自分たちも100均で買ってきたゴムボールで遊んで、帰りにツタヤでDVDを借りて帰る。みたいなことをお互いの休日が重なるとよくやっていた。

これは結構大きな発見で、そういう時間を共有できる相手はとても貴重だった。
サプライズやディズニーリゾートがなくても、毎日は楽しくなるのだ。

と言っても全く遠出しないわけでもなくて、何かの折に面白そうなイベントを見つけると、ふたりで足を運んだ。
浅草サンバカーニバルとか。

帰っても、二人でいればデートなのだとすれば、デートは終わらないわけだ。だが、わざわざ出かけて遊ぶという行為が一層特別なものになって、同棲とはなかなか素晴らしいものじゃあないかと思ったものである。

衝突

けんかも時々した。

これが一番問題点だったのだが、ワンルームのマンションだったので、けんかをしても同じスペースにいないといけないのである。
一時休戦、頭を冷やして、というのが難しい。対峙したままだとそううまくいかないものだ。

そういう時ぼくは大体家を出て、ひとりでぶらぶらとその辺を歩きながら冷静になった。

基本的に時間がたつと「まあいいか」と思えるというか、明らかに相手が悪いと思っていてもけんかをするために疲労するのが面倒なので、「ごめん」で済まそうとしていた。
こういうのが続いていわゆるカカア天下というものが出来上がるのだろうと学んだ。

大体、けんかっていうのは、仲直りがゴールだから過程なんかどうでもいいのだ。これも大きな学びだと思う。
相手を打ち負かすためにしているけんかならばそうもいかないが、カップル間のけんかなんて結局負けるが勝ちだ。
激昂して言い合っているうちは解決なんかない。とりあえずは丸くおさめて、あとになって「しかしあの時のお前は、絶対おかしかったよなあ」と笑い話にすればいいのである。

たまには「絶対に許せない」と思うようなこともあった気がするが、時間が解決したのかそれとも大した出来事ではなかったのか、あまり記憶にはない。

破綻

とここまで書いている内容からすると、それなりにうまく同棲生活をしていたように見えるかもしれない。
が、結局色々な原因が相まって破綻した。

懺悔のつもりではないが、一番大きい点ではぼくが浮気をしたからだろう、というのは書いておく。

これについては見も知らぬ他人に一口で説明するのは結構大変だけれど、彼女と長く居続けると大切に思う気持ちが増すと同時に恋人というより家族になっていく、ということだろう。
大切に思っていた気持ちは嘘偽りなかったけれど、その過ちで破綻した。まあその感情は嫁や彼女がいてもキャバクラや風俗に行く男の感情とだいたい同じと思って差し支えない。

それ以来浮気はやめよう、と思っている。
浮気をするくらいなら、最初から「俺、遊び人だから」というスタンスでハナから彼女を作らない。付き合うなら、ひとりの人間ときちんと向き合う。

Aが今、何をしているのかは、知らない。