明るい村

ザ・ボヘミアンズ
平田ぱんだのブログを読んでそのテンションに影響されたエントリ。

ロックンロール

ストーンズ展に行ったってことは逆襲で書いたからあらかた省くが

ストーンズのみならず、やっぱりロックバンドって最高なんだってことを再確認した。

ロックバンドは最高だが、ロックンロールバンドはもっと最高。

ロックンロールバンドはいつでもアイドルなんだ。
逆にどれだけかっこいい音を鳴らしていても、ボーイズ&ガールズがキャーキャー言わないのはロックンロールバンドじゃないってことだ。

ぼくはロックンロールアイドルになりたかった!

現時点で、ぼくが人生で一番最後に組んでいたバンドの話をする。

真夏の仲間

そのバンドはぼくがギターとボーカル、もうひとりギター、ベース、ドラムの4人編成から始まった。
オーソドックスなよくあるタイプだ。

始めはぼくとドラムの二人だけで、各所でメンバーをかき集めてこうなった。

リバティーンズを見ていて「メインボーカルが二人いるのは日本じゃかなり珍しいから、これを取り入れたほうがいい。しかも、男女でやったらもっといい」と考えたぼくは、ドラムにその旨を話して、ギターの弾ける、そして歌える女性を探したのだが、そんな奴は東京にはいなかった。
いや、いたのかもしれないというか、絶対いるに違いないのだが、ぼくらと巡り合うことはなかった。
せいぜいシンガーソングライター系ポップソングをやるようなタイプだ。そうじゃあない。ぼくらがやりたいのはバチバチのロックンロールだったのだ。

で、結局ボーカルはぼくひとり。

でも、ローリング・ストーンズRCサクセション毛皮のマリーズなどのロックンロールバンドを見ているうちに、ロックンロールの事実に気づいてしまう。

ボーカルは楽器なんて持たずステージを動き回っている方がロックンロールに適しているということ。

ガール女モーターサイクル

というわけで、まあ端折ったんだけどギターは早い段階でひとりやめて新しい人に変わったりもしつつ、ぼくがギターを弾かない方向で考え始める。
そもそも、ぼくはギターを弾きながら歌うのがそんなに得意ではないのだ。

もともと歌いたい願望はあったけれど、歌いながら弾く修練をそんなに積まなかったぼくは、ポール・マッカートニーの言う「ベースを弾きながら歌うのを世界で一番練習した」という発言に頭が下がる思いだった。

ギターが上手いのと歌が上手いのと弾きながら歌うのが上手いのはそれぞれ別である。

じゃかじゃかやるだけならそんなに大変なことはないが、複雑なフレーズを弾きながら歌うと、手か歌がどちらかにつられて変な感じになってしまう。
合唱コンクールでいつの間にか他のパートを歌ってしまうあれに似ている。

ま、そういう事情もありつつ、キーボードを入れることになった。
ボーカル、ギター、キーボード、ベース、ドラム!
素晴らしい編成じゃあないか。これでボーカルはロックンロールにより近づけるってもんだ。

その頃には自主製作でシングルをいくつか、ミニアルバムをひとつ作って、レコ屋に並べてもらったりもしていたが、しかしスターになるには程遠い感じだった。

憧れられたい

ぼくが考えていたのは、ロックンロールバンドとして名を馳せるにはひとつ名刺代わりにキラーチューンを世にぶちこまないといけないということである。

ジェットのアー・ユー・ガナ・ビー・マイ・ガールとかあんな感じだ。開始30秒でわかるヤバさをもった曲を書かねばならない。

それにはかっこいいギターのリフが必要不可欠で、それを書け書け絶対書けとギタリストに要請し続けたがなかなか仕上がらなかった。
どうしてもぼくらがそれをやろうとすると、ジェットみたいな軽妙な感じにはならず、ハードロック的などっしりしたビート感になってしまった。
それらの曲は結局あんまり気に入らず、ライブでもほとんどやらなかった。
逆に軽さを意識しすぎるとただのパンクになってしまった(そういう曲も好きだしやっていたが、この時に書きたかった感じではなかった)。

もうひとつの策は、アイドル的ポップソングである。

ビートルズがアイドルだったように、ロックンロールバンドは内に黒い(ここでいう黒いはよこしまな、ではなく黒人音楽ライクな、である)情熱をもっていつつも表面上は分かりやすくて誰もが覚えやすいポップソングを作って、それを名刺代わりにする手法がある。
それで、有名になってから難解な民族音楽とかに手を出すのだ。売れてしまえばなんとなくファンはついてくる。
何を言ってるか分からないという人はビートルズのアルバムを順番に全部買ってくれ。

モータウンを意識した、というかシュプリームスをパクったような曲を書いた。
分かりやすいところでいくと斉藤和義の『歩いて帰ろう』みたいなリズムでベースが跳ねる曲である。

キーボードが入ったことだし、キーボードをフィーチャーした曲も書こう。
と、チープ・トリックをポップにしたような曲も書いた(分かりやすい例を挙げているだけで、パクってばかりいたわけではない)。

これらのポップソングをぼくとしては気に入っていたのだが、ギターが言う。
「俺がやりたいロックンロールとは違うところに来てしまった」

THE ALWAYS

バンドの初期は、とりあえず出来た曲を演奏するという感じで、この曲で売れようとかは考えずにやっていたから自由な作風だった。
ポップソングを作ろうと計算しだすと、いわゆる方向性の違いという齟齬がメンバー間に生まれる。

ある程度、壁にぶち当たっていた時期だった。

バンドを組む。ライブをする。レコーディングをする。CDが出来上がる。CDショップに並ぶ。
CDが世に出回って買える状態になったところで、作った連中が世に認知されていなければ誰も買わない。
だからネットを使ってプロモーションし、ライブで毎回全力を出し切る。どうにか自分たちを知ってもらおうと躍起になっていた。

バンドは客商売だ。
分かるやつにだけ届けばいい、というのは綺麗ごとだと思う。
分かるやつにすら届かないことの方が多いのだ。

結局、大金をプロモーションに使える大手事務所に所属したり、なにかのコンテストで優勝したり、そんな分かりやすいフックがないと、ただでさえCDが売れない現代ではヒットを打てない。ホームランなんか夢のまた夢。
もしくは、運か実力か。
どちらもぼくたちには足りなかったのかもしれない。

自分たちにやれることはやったけれど、スタジオに入ってライブをやっての繰り返しがルーティン化してきた。
それまでは徐々に増えてくるお客さんやCDの売り上げに一喜一憂したものだが、だんだん現状維持するだけになってきたところで、ついにギターは脱退を申し出る。

それに伴ってバンドは活動休止という名の事実上解散になるのだった。

ダーティーリバティーベイビープリーズ

バンドで過ごした日々は、ぼくの人生で最も美しくナイーブな時間のひとつだ。

冒頭で触れた平田ぱんだ率いるザ・ボヘミアンズの楽曲は、その思い出のひとつひとつを思い出させてくれるような、切なくて、美しくて、力強いロックンロール。

どれだけたくさんの音楽を好きになっても、一番はロックンロールだ。これがど真ん中だ。
ロックロックってみんな言うけど、ロールはどこへ行ったんだい?