イル・コミュニケーション

いいね
投げっぱなし、書きっぱなし。

世論

日本語はなるべく正しく使いたい。
なるべく、というのが難しい。
正しくない日本語もしばらく大多数が使い続けると「じゃあ、いいやそれで」みたいに世論が変わってゆくからだ。

例えば全然、という言葉はそのあとに否定を伴うのが元々正しかった。
「全然問題ない」とか、「全然気にしていない」とか。

でも今では、「全然いい」みたいな使い方もされるわけだ。
変化には柔軟でありたい。

テレビでマナー講座の番組をやっている際によく同じようなことを考える。
「実は、このマナーは間違い。正しくはこう! 日本人の8割が勘違いしています」
いや2割にしか理解されてないなら、正しいマナーって意味あるの? 間違っていても多数決で良しとされてんならそれでいいじゃん。
この考え方はおかしいのだろうか?

線引きは難しい。
けれど、なるべく正しい日本語を使いたい。

煮詰まってきたので、文章を書いて整理しよう(煮詰まる、は本来は間もなく結論に向かう状態を指しているが、昨今は行き詰まるという意味で使われる誤用が多い。さてこれはどっち? どっちともとれるね。日本語むっずー)。

区別

人をカテゴライズする論法が嫌いだ。

「A型は細かい」

確かにぼくについて、当たっている。ああ、当たっているとも。
当たっているかどうかはこの際どうでもよく、気に入らないってだけだ。
「俺をお前の経験則だけで語るな」と思う。当たってるんでしょ? だと。うるせーよ!

血液型ならまだ4種類(なんか激レアの型とかあるんだっけ? それはノーカンで)あるけれど、「男なんて」「女なんて」とかいう悪魔的にざっくりした意見を述べる奴もいる。
ここで重要なのは、必ずしもそうではないけれど強調のためにそう言い切るタイプと(『すべての男は消耗品である』、『人類には2種類しかいない。〜と、〜だ』等)、まじでそう思っているタイプ(「浮気しない男なんかこの世にいないっしょ」、「浮気しない女なんかこの世にいないっしょ」等)がいるってこと。

だから
「A型だから細かいんだな」に
「血液型なんて関係ないっつーの」と応じた場合

「まあね、血液型なんて4種類しかないしね」なのか
「え? 血液型って本当大事だよ?」なのか……
後者の奴って話してて疲れるんだよな。エクストリーム型。

とは言え、占いとか心理テストはぼくも嫌いではないので、ポジティブなものだけ拾っている。
都合いい!

賛同

今の話で思い出した。

ネットだと、自分の意見を投げっぱなしにしやすい(このブログみたいに)。
Twitterではそれに賛同する人がリツイートやいいねを押す。YouTubeみたいにBADを表現するボタンはない。
炎上してリプライから批判がたくさん寄せられることはあるかもしれない。しかし、あまりに過激なことを言わない限り、フォロワーはアンチより味方の方が多いだろうから、頻繁にあることでもない。

リアルだとそうではない。
サシで喋っていたら相手から賛同だけでなく反対、疑問、ツッコミ、各種湧いてくるのが常だ。
いいね! だけじゃ会話にならない。

ぼくの友達で承認欲求がこじれたのか、いいね! をリアルで欲しがるようになってしまった奴(以下W)がいる。

Wの言っていることにピンとこず、
「俺は〜だと思うよ」と自分の意見を述べる。
「いやいや、全然そんなことないんだって。本当に。まじで。男なんて結局みんな同じなんだって」

出た! エクストリーム型意見!

そのくだりはなんとなく終わって、ぼくは少しイラッときたものの、多分大人の対応をしたような気がする。

その後、Wは「人付き合いが面倒臭い」と言う。「初対面の相手とはうまく話せるけど、少し仲良くなると相手をするのが面倒臭くなってくる」
「初めは気も遣うだろうから丁寧に接するけど、多少知った仲になると、お前は自分の話に『いいね』をもらいたいだけなんじゃねえの? 相手の話は聞くのが苦痛なんだ。お前が話す。相手がふむふむなるほどいいね。と言う。Wは友達じゃなくていいね要員が欲しいだけで、人に興味を持っていない」
とぼくは言った。
まあ、もうちょっと柔らかく言ったと思うけど。「もしかしたら、違うかもしれない。あくまで俺が聞いてて思いついた仮説ね」とか言って。

しかし意外とWは「……確かにそうかもしれない」と素直に受け入れたのだった。
ぼくも「え、当たってるんですか」と間抜けな顔になった。「そこは素直なんかい」

中和

承認欲求のゆくえ。
常に肯定的な意見に包まれて生きてゆけるわけではないのである。

難儀なんだ、人生ってやつは。

というわけで、ぼくの煮詰まった思考や承認欲求は、そこそこの長文をここに書き連ねることでやりくりされた。