西加奈子『漁港の肉子ちゃん』感想

漁港の肉子ちゃん
完璧な人間なんていない。

概要

男にだまされた母・肉子ちゃんと一緒に、流れ着いた北の町。肉子ちゃんは漁港の焼肉屋で働いている。太っていて不細工で、明るい―キクりんは、そんなお母さんが最近少し恥ずかしい。ちゃんとした大人なんて一人もいない。それでもみんな生きている。港町に生きる肉子ちゃん母娘と人々の息づかいを活き活きと描き、そっと勇気をくれる傑作。


Amazon.co.jp : 西加奈子『漁港の肉子ちゃん』より

結論から言えば、出会えてよかったと思える作品だった。
思春期にさしかかる少女の目線から描かれる大人たち、世の中、人間関係。
生きていくのは大変でも、世界は美しいと知ることができる、そんな物語である。

西加奈子の文章は簡潔だし、登場人物はみな可愛らしい。

なんとなく心が重い、なんとなくやる気が出ない、そんな慢性的な人生への疲労を感じている人に読んでほしい。

レビュー

肉子ちゃん(本名は菊子だが、誰もそう呼ばない)と娘のキクりん(喜久子)、ふたりの日常を中心に物語は進む。

肉子ちゃんは頭が悪くて、ガサツで、男を見る目がない。
生まれながらに肉子であったような、まるまると太った体型をしている。

「心や酉に己、と書いて、心配と読むのやから!」
 そこは「心を配ると書いて、」でいいのではないか。どうして全部、解体するの。


本文より

いつも大声で(作中、肉子ちゃんの鍵括弧内で「!」がなかったことは数えるくらいしかない)、漢字を意味もなく解体する。
愛用のコーヒーカップには「親不孝」と筆文字で書かれ、着ているものは蛍光っぽいタイダイのパーカーにジーンズの「模様」が描かれたスパッツだったりする。

小学5年生のキクりんは、そんな肉子ちゃんとは違い、聡明で可愛い。
ふたりは全然似ていない。

紆余曲折を経て流れ着いた港町。
漁師は魚ばかり食べていて飽きている、というわけで焼き肉店はぼちぼち繁盛し、肉子ちゃんはそこで働くことになり、キクりんと共に住み込む。
店主は肉子ちゃんを見て「肉の神様が来た」と思ったらしい。

やっぱり、どこの町でも、肉子と呼ばれる肉子ちゃん。

重要なのは、誰もそれを蔑称として読んでいないということだ。
肉子ちゃんは至らぬ点は多々あっても、それを打ち消すくらいにおおらかで優しい。
みな、親しみと愛をこめて「肉子」と呼ぶ。

キクりんは賢いので、それがわかる。
肉子ちゃんが数多の男に騙され、学がなく、センスもなく、しかしとても愛に溢れた人間だということが。

馬鹿で明るい! という分かりやすすぎる特徴を持った肉子ちゃんとは対照的に、小学生の女の子グループは複雑だ。
派閥があったり、男子の目を気にしたり。
誰も仲間はずれにしたくないけれど、自分が仲間はずれになるのも嫌だ。そんな少しの緊張感をもった人間関係の中にキクりんはいる。明確にいじめがあったりするわけではないけれど、なんとなくヒエラルキーが形成されていて、なんとなく力関係が働いているような。
その中で優しさと愛の大切さや、大人になるとはどういうことなのか、家族とは何かを学んでいく。

映画や漫画で泣くことはよくあるんだけれど、小説で泣いたのはもしかしたら初めてかもしれない。
肉子ちゃんも、キクりんも、漁港の人々も、みなとても愛おしい。

人間賛歌といってもいいかもしれない。
人は一人では生きてはいけないのだ。それは決して恥ずかしいことではない。誰もが少しずつ欠けていて、だから面白いのだ。
ちゃんとした大人なんて一人も、いない。

まとめ

いつもミステリを読んでいて、それは基本的にはミステリが読みたい人にしか薦めない。
この作品は誰も彼もに薦めたい。もっと言えば、自分の大事な人と共有したいと思った。

同じ景色を見て、喜びや悲しみを分かち合う人がいること。
些細な日常を彩ってくれる何かは、どこにだってあると教えてくれる物語である。

全く関係のない作品から、台詞を抜粋して終わる。
「希望は残っているよ どんな時にもね」