ぼくのミステリな人生
ミステリ小説はお好き?
ボ、ボクの名前は、江戸川コナンだ
ぼくのミステリ好きは、名探偵コナンと金田一少年の事件簿の2大少年探偵マンガから始まったと思う。
小学校低学年の頃にどちらもアニメ化され(金田一はアニメやマンガよりドラマを先に知ったが、ホラー色が強くてぼくは苦手だった)、毎週観ていた。
コナンから得た知識のひとつは「推理小説を読むならば、シャーロック・ホームズに触れなければならない」ということ。
〇〇を語るならば〇〇くらい知っとけ的な、男の蘊蓄好きにつながる思考を既に始めていたのが面白い。
母が大きな文字で書かれた子供向けの『シャーロック・ホームズの冒険』を買ってくれて、何度も何度も読んだ。
『シャーロック・ホームズの冒険』は元々12の短編からなるシリーズなのだが、子供向けのバージョンは4作の収録にとどめてあった。ただ、何が載っていたかあまり覚えていない。
『赤毛組合』、『消えた花婿』はあった。あと『ボスコム谷の悲劇』『5粒のオレンジの種』だったかな。
ぼくはその頃から読書好きになった。
目覚めた小学2年生
時系列は曖昧だが、どれも小学2,3年生くらいのことだと思うのであまり時期に差はないと思う。読んでいたのは乱歩の少年探偵団シリーズ(奇々怪々という言葉をこれほど頻発する作家を他に知らない)、那須正幹のズッコケ三人組シリーズ(いとこが読んでいたのを大量にもらって、のちにファンクラブにも合格した)、青い鳥文庫のパスワードシリーズと夢水清志郎シリーズだ。
とりわけ青い鳥文庫のシリーズふたつは、その後もずっと追い続けていた。
夢水清志郎シリーズにいたっては、確か完結が18か19歳の頃。その時まで、ずっと読み続けていた。
児童文学の青い鳥文庫が対象年齢とするところからはすっかりはみ出しながらも、新作がどうなるのかという期待を常に持ち続けていた愛読シリーズだ。
まあこれは夢水清志郎シリーズというよりは、児童文学というものの性質かもしれない。
ちなみに小2の頃、マンガも好きだった。ドラえもん、コナン、金田一である。
ドラえもんはアニメ同様マンガでも1話完結なので表紙の気に入った巻を適当に買う、というのをやっていた。
ぼくはなぜかその手法をコナンや金田一でもやっていて、3巻と7巻と9巻を持っている、みたいな状態になったりした。
前の事件の続きから始まり、次の事件も途中で終わる。と、まるですっきりしないのに、学習せず表紙買いを繰り返していた。いつこの悪癖が治ったのかは記憶にない。
ありがとうインターネット
その後も読書体験は続く。
中学校では友達の影響で赤川次郎ばかり読んだ。
高校生くらいになると、もう今と感覚はそこまで変わらない。伊坂幸太郎とか東野圭吾とかが好きだった(いや、別に過去形でもないか)。
また、この辺からインターネットに触れる機会が増え、ミステリ好きが周りにあまりいなかったけれど、世の中で評価されているものを調べることができるようになった。
サイコーだね!
というわけで「どんでん返し 傑作」とか「必読 推理小説」とか検索し、また新しいものを知っていった。
綾辻行人の館シリーズや、有栖川有栖の作家有栖シリーズ学生有栖シリーズ等々。いわゆる新本格に区分されるものをよく読んだ(その中では綾辻の『どんどん橋、落ちた』が一番印象的だった。何かミステリに手を出したい人は是非読んでみてほしい)。
あと折原一の倒錯シリーズとか。
島田荘司の『占星術殺人事件』はだいたいどこでも必読級にやばいと薦められていたが、5回くらい途中で読むのをやめてから7年くらいかけてようやく読むことができた。
どっかいけインターネット
もちろん古くても面白い作品というのはたくさんある。
が、とりわけミステリだと「孤島に閉じ込められました、と。携帯電話は存在する時代なのかな? あれ? ネットもない?」とトリックや設定と時代背景と大きくリンクするし、それを気にしながら読むのが面倒くさい。
書きながら思ったのは「1992 ドコモ誕生」みたいな年表を作って、読む前にその本が発売された年を調べてから読めばいいかなということ。
いややっぱ面倒くさい。そんな年表持ち歩いてるやつアホだろ。
ノックスの十戒(探偵方法に超自然能力を用いてはならない、探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならないなど推理小説のルールを記したもの)に、携帯電話とインターネットを禁止するくだりがあればなあ。
まあケータイやネットがなくても、その他の色々なところで時代背景は見え隠れするからあんまり意味ないな。
そしてその古さを感じすぎてしまいいまいち馴染めなかったのが島田荘司だったり、クイーンだったりする。
海外の作品は名前が覚えにくいという理由も加わり、ホームズ以降あまり読んでいない。