筒井康隆『七瀬ふたたび』感想

七瀬ふたたび
テレパシー・ガールズ・バラッド。

あらすじ

生れながらに人の心を読むことができる超能力者、美しきテレパス火田七瀬は、人に超能力者だと悟られるのを恐れて、お手伝いの仕事をやめ、旅に出る。その夜汽車の中で、生れてはじめて、同じテレパシーの能力を持った子供ノリオと出会う。その後、次々と異なる超能力の持主とめぐり会った七瀬は、彼らと共に、超能力者を抹殺しようとたくらむ暗黒組織と、血みどろの死闘を展開する。


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火田七瀬を主人公とする物語は3部作で、この『七瀬ふたたび』は2作目にあたる。
家族八景』が1作目、『エディプスの恋人』が3作目。

家族八景』を読んだのは相当昔で、いつだったかも思い出せないくらいだけれど、肝心な内容はちゃんと覚えているのだ。
無論、これはぼくがすごいのではなく、筒井康隆がすごい。

家族八景』では色々な金持ちの家で七瀬が家政婦をし、心を読める能力のおかげで(あるいは、せいで)その中にあるどろどろの人間関係を目の当たりにし、なんやかんやでまた別の家で働き始めるという繰り返しだった。

『七瀬ふたたび』では、人にテレパス(精神感応)能力を悟られるのは危険だと学んだので、色々なところを旅している。
その中で同じように超能力を生まれながらに持った仲間に出会う。

七瀬は家政婦ではなくホステスで稼ぐようになるのだが、途中から「ディーラーの気持ちを読めばギャンブルには負けない」と気づいてマカオのカジノでぼろ勝ちするあたりは、なんとなく人間っぽくて面白い。
しかし楽にお金を稼ごうとしたため(自分自身を衆目にさらすことを避けるためにまとまったお金を短期に得られる方法を模索してこうなっただけで、七瀬自身は「楽に稼いで生きたい」タイプの人間ではない)さまざまなトラブルが彼女たちを襲う。

前作『家族八景』からの変化

何がすごいかって、今読んでも全然古くないんだよな、これ。
SFではもう相手の心を読んでしまう能力なんてこすられ倒している。
でも、1978年の作品である『七瀬ふたたび』を読んで、むしろ斬新さすら感じるのだ。

超能力ものって、結局発動条件とか細かい設定って作者がいくらでも付け足せるから、ご都合主義になったり言い訳がましくなったりってケースもちょくちょくあるんだけれど、そこはやはり筒井康隆。めちゃくちゃ没入感があるんだ。

前作はブラックユーモアが中心で、人間の金や性に対する執着の醜さを描いていた。
今作はドタバタ劇というかバトルものというか、超能力の存在に気づきそうな悪意ある人々たちとの邂逅、対峙が主だ。

当然前作ありきだから主人公七瀬自身の人間的成長もある。

家族八景』では人の考えていることが分かるゆえに、七瀬は超然としていた。人間に呆れ絶望していたといってもいい。
今作だと、もっと人に寄りそうような感情が芽生えている。人間って駄目なところがあるけれど、それもまた魅力だよね、みたいな。
ほとんど天涯孤独に生きてきた七瀬が仲間を得、失っていく。
SF展開に加えられるそのもの悲しさが作品により強い印象を残している。

ドラマ版

家族八景』も『七瀬ふたたび』も何度かドラマ化されている。

ぼくが記憶にあるのは『家族八景』が深夜ドラマ化されていた時のもので、これはコメディチックだった。
七瀬役は木南晴夏だった。

一応作中では七瀬はかなりの美人として描かれているので、木南晴夏は若干地味ではないか、という気もした。
まあドラマ版『家族八景』もちゃんと観ていたわけではないので、どちらかというと記憶は勇者ヨシヒコのムラサキである。

が、木南晴夏みたいな顔も最近好きだなと『七瀬ふたたび』を読んで気づいた。だからなんだよ。

ちなみに芦名星が演じている七瀬が一番七瀬っぽいなと思う。

終わりに

家族八景』の英題がNanase, Telepathy girl's balladなんだけど、かっこよくない?
なんでも英語にするとかっこよく思っちゃう馬鹿な中学生脳かなこれ?