時代と洗濯物は回る

ハロウィンに手紙を書くライナス
コインランドリーが好きだ。

無駄

一人暮らしを初めてした頃住んでいた部屋には洗濯機がなく、1週間ぶんくらいの洗濯物がたまるとコインランドリーまで歩いて行った。
東京は練馬区、かなり駅からも遠いところで家賃も安く、つまりは住宅街。
コインランドリーの周りには何もなく、洗っている間はただただ座ってスマホを見ていたり本を読んでいたりぼうっとしていたりだ。

一旦家に帰ればいいのだが、徒歩で5分程の場所で、往復1回を2回にするのが面倒くさく、かといって部屋に置いてあるクロスバイクを引っ張り出してくるほどの距離でもない。ついでに言えば階段しかないアパートの3階だったから余計に億劫だった。

というわけだから、本当に手持ち無沙汰な時間をコインランドリーで過ごすわけである。
文字にしてみればかなり無駄な時間で、出来る男はそれを有効に使うのかもしれないが、ぼくはその無駄な時間が嫌いではなかった。

現在でも大きな乾燥機が必要な際は時々利用する。

回転

コインランドリーでぼんやりと過ごす時間自体も好きだが、回っている洗濯物を眺めているのも好きだ。
多分、不規則というか、誤差というか、そういうのが好きなのだと思う。

一定のリズムで洗濯機や乾燥機は回っても、それに揺られる洗濯物は絡まって、ほどけて、予想のつかない動きをし続ける。

バタフライエフェクトについて考える。
あの時、ああせずに、こうしたら、今どうなっていただろう。
あの時、ああ言わずに、こう言ったら、今どうなっていただろう。

不確定要素がたくさん絡み合って未来に向かっている感覚が、洗濯物を眺めていると思い出される。

手札

という書き方をするとなんだかネガティブな感じがするか。
逆にあの時ああしたからこそ、今こうなっている。と思えることもある。

小さな分岐が日々あって、その選択(洗濯物とかけた洒落ではない)はもしかするとその先大きな違いをもたらしているのかもしれない。
もしくは、どっちを選んでも大差はないのかもしれないけれど。それは、分かりようがない。リセットボタンはない。

You play with the cards you're dealt.
配られたカードで勝負するっきゃないのさ。

これはピーナッツの名言だ。
配られたカードで勝負するしかないが、その中から選択する余地は残されている。
常にベストの選択をし続けるのは難しいかもしれないが、ベターくらいならなんとかやれるかもしれない。

激昂

洗濯物が回る。
ぼくは配られたカードについて考える。

ピーナッツはこんなことも言っている。

No problem is so big or so complicated that it can't be run away from.

ライナスの台詞。
ライナスが、ピーナッツで1番好き。
白血病の女の子が髪の抜けた頭を悪ガキからかわれているところに、ふだんは指しゃぶりをして毛布が手放せないお子様なライナスが、勇敢に立ち向かっていくんだ。
ライナスの選択は最高に正しい。