どうでもいいが風邪が治らない
絵を描く話。
かつての描き方
今まで、イラストを描く際は、自由帳にシャーペンないしボールペンというアナログなやり方しか知らなかった。
最近になって、ようやくデジタルで描くことを少しずつ覚えてきた。
今は、ブログを書いたり読書したりに使われていた1人で過ごす時間が、だいぶそれに割かれている。なんせ面白いからだ。
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それではまだデジタルのイラストレーションを覚えて間もないぼくの所感。
終わり方
デジタルだとペンの種類や色など無数に選択肢があるため、ここで終わり! というのが決めにくい。
常に「もうちょっと描き足そうか?」とか「ここの色はもう少し薄くするか?」とか考えてしまう(余談だけれど、アナログでマンガを描いている荒木飛呂彦はキャラクターのまつ毛や顔の陰影など細かい線を何度も描き足しながら、「このような仕上げの作業はどこまでやるのですか」の質問に対し「なんとなく、もういいか、と思ったらやめる」と言っていた)。
そのくせインスタに公開したい気持ちもあるから早く完成させたいとも思っていて、細部に気を取られながら単純なミスをそのままにして仕上げたりする。
NOVEMBERをスペルミスしたり。中学生か。oops i did it again.
その点、紙とペンだけで描くのは自分の中でここまで描いたら終わりというのが分かりやすいと思う。
画風
シャーペンを握って絵を描くと自然と自分の絵になるというか、自分の絵にしかならないというか。
自ずとこんな感じの画風というのが出てくる。
デジタルだとその選択肢の多さやキャンバスを(ある程度)無限に大きくできることから、あれこれ冒険するのが容易で、アナログでは描かなかったようなアイディアも出る。
結果自分らしくないというか、一貫しない画風になったりする。
まあ、そもそも画風なんて長年描き続けてきた人が得るもので、遊びでちょこちょこやっているぼくが語るものでもないのだけれど。
デジタルでは誰でも色んな絵が描ける反面、うっかりすると個性が死にそうな感じもする。
作業
デジタルで求められる技術、例えば線のよれたところを消し、途切れたその間をきれいに繋ぐ、など。
これらはデジタルでしか要求されない技術で、つまりはデジタルがドットの集合体であるということである。
拡大し細かい粗を直す際は、絵を描いているという感覚ではなく、非常に作業的に感じる。パズル的とも言えるかもしれない。
このドットは黒よりも白のほうがいいな、と消しゴムで置き換えていく作業でありパズル。
この辺は特に面白いものではなく、シャーペンで描いていたら考えなくてもいいようなことをやらなくてはいけない、といつも少し面倒になる。
これはぼくがデジタルの描き方をあまり深く学習せず、感覚的にソフトを使いながら勝手に覚えているから余計にそうなっているのかもしれない。より効率的に描く方法もあるのかも。
古典的
デジタルで描くのは覚えることが多くて面倒臭そう、という先入観はあったし、実際面倒な部分もあるのだけれど、やはり出来ることの幅が大きく大きく広がるので楽しい。
今はデジタルばかり使っているけれど、時々はアナログでも描きたいよな、と思う。
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