激しい雨(あるいはノルウェイの森)

嫌い
とある人に、嫌いだと言われた。

耐性

ぼくを好いている人嫌っている人がどんな配分でぼくの周囲にいるのか分からないが、幸いにもというべきか、仮に嫌われていても直接それをぶつけられる経験は多くない。

多くないから耐性もない。

あ、もちろんリアルでの話でね。
ネットでの誹謗中傷はどうでもいいんだ。関わりのない人の無責任で雑な言葉じゃなく、直接付き合ってきた人間の言葉だからこその話。

記号

結局言葉は記号でしかない。
その記号に含まれた成分は、表情だったり声色だったり文脈だったりからなんとなく自分なりに理解しようと努めるしかない。
理解したつもりでも理解できているかは分からない。

件の「嫌い」がどれくらいの重みなのか、はっきり分からなかった。
ただ、重さを量ると腹が立ちそうだし悲しくなりそうなので、ぼくは脳を閉じ、何もなかったような顔をしていた。

自問

人間関係でトラブルになるたびに、「些細なことで気をせず、多少ムカついてもぼくが笑っておけば丸く収まるのか? 」「それとも思ったことは率直に言うべきなのか?」という答えのない自問自答に陥る。
ナーバスで面倒くさい奴、それがぼく。

その辺のことは、とある方が「ハルさんは人に興味が強いんですよきっと。ぼくはあんまり人のこと気にならないから」と言っていた。
確かにそんな気がする。

興味

こういうことを書くともしかすると「ああ、かわいそうなハルさん!」なんて勘違いをする人がいるかもしれない(おそらくそんな人はいないが、いたらぼく同様人に興味が強い人だろう)。

でも人間関係のトラブルなんて両者の言い分を聞かないとフェアじゃないし、ましてやネットでぼくがほざいていることなんてある程度かっこつけている面もある(かっこつけているというよりは、かっこ悪いところを薄めている、という感覚かも)から、あてにならない。

何が書きたいのかそろそろ分からなくなってきた。

多分自分の中のもやもやを消化したかっただけだな。

やれやれ

ここまで書き終えたとき、アルバートハモンドJrが耳元で「Nothing last forever」と歌っていた。
オーケー、あるいはそうかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず――これはあくまでぼくの考えだが――完璧な人間関係など存在しない。完璧なサンドイッチが存在しないようにね。
やれやれ、みな等しく、疲れている。ぼくはそう思った。

ここまで書き終えたとき、キヨシローが耳元で「何度でも夢を見せてやる」と歌っていた。

ぼくはやっぱり、そんな甘っちょろい戯言のほうが好きでござるよ。初心忘るべからず!