伊坂幸太郎『AX』感想
殺し屋も人の子。
長めの前説
伊坂幸太郎の作品に初めて触れたのは『アヒルと鴨のコインロッカー』だった。
当時ネットではウミガメのスープという推理クイズが流行っていて、mixiで『アヒル〜』を題材にした問題が出題されていたのだ。
ウミガメのスープとかmixiとか、若い世代にどれだけ伝わってんだろうな。
ついてこーい!
それから、片っ端から読んだ。
ラッシュライフ、重力ピエロ、砂漠、チルドレン、グラスホッパー、死神の精度(順不同)……オーデュボンの祈りはちょっとあざとくてあまり好きではない。
多分、モダンタイムスくらいからだと思うんだけど、作風が変わってきた。「正体不明の巨悪(政治的な何かのメタファー)に立ち向かう小市民」という構図が増えた。
まあ好みの問題って言えばそれまでなんだけど。
どちらかと言えばシリアスな話より、くだらないけどしみじみする話が好きだ。
新しいのが出るたび(いや、新刊を逐一チェックしているわけではないから、書店で「あ、知らないのがいつの間にかあるぞ」と気付くたび、というのが正確か)読んではいた。
夜の国のクーパー、残り全部バケーション、マリアビートル、PK、火星に住むつもりかい?……この辺は読んだけれど、強い印象は残らなかった。
いや、面白かったと思うよ。
ふんわりとは記憶にあるし。ふんわりとはね。
ただ10代に読んだときみたいな鮮烈さはなかった。
正直これは歳と共にぼくの趣味が変わって(さらに脳が退化して)しまったから、という可能性も否めないけれど……まあそりゃそうだ。10代の自分と同じ感性な方が問題だろ。
今回久々にばちっと自分にハマる伊坂幸太郎に出会えた。
それがAXだ。
あらすじ
最強の殺し屋は――恐妻家。
物騒な奴がまた現れた!
新たなエンタメの可能性を切り開く、娯楽小説の最高峰!「兜」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。
一人息子の克巳もあきれるほどだ。
兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。
引退に必要な金を稼ぐため、仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。
書き下ろし2篇を加えた計5篇。シリーズ初の連作集!
伊坂小説にちょくちょく出てくる、変な名前の殺し屋。
檸檬とか、槿とか、あの並びの一人。が、本作の主人公の兜。
どんな話か知らないで読みだして、兜っていう印鑑(読んだことがある人は分かると思う)が出てきた時に、「あ、また殺し屋同士のドンパチ系か」と若干がっかりした。
いや、誤解のないように書いておくと、殺し屋が出てくる過去の小説は面白かった。
ただ、それらの集大成というかオールスター感謝祭というか、それにあたるのが『マリアビートル』だと思っていて、それと同じようなジャンルの話はあんまり読みたくなかった。
が、実際は殺し屋同士ドンパチシーンはほとんどなく、むしろいち殺し屋が普段どんな暮らしをしているのかという、地味でさえある家族のやりとりが中心だった。
人を殺し終えて帰宅すると、妻を起こさないようにそっとドアを開け、音のならないような食べ物を選んで夜食をとる。
などという、殺し屋のイメージとの大幅なギャップとゆるい空気感が本作の魅力である。
だから大きな起伏のある物語を求める人には向いていないと思う。
ただ、初期の伊坂幸太郎のノリが好きな人はハマる。
殺し屋生活(若干ネタバレあり)
兜は、サイコパスじみた面もあり、しかし社会に溶け込んだただの恐妻家でもある。
人を殺すことにためらいをほとんど覚えていない癖に、奥さんから怒られることに常に怯えていて(本人にその自覚は薄く、ただ「家族に笑顔でいてほしいだけ」と言い訳めいたことを言っている)、それを息子からいじられる。
こんな変な性格の人間いないだろ、と思う反面、もし殺し屋というのが実在するならばこんな感じなのかもしれない、とも思う。
いつしか、家族に危険が及ぶのを危惧し、兜は殺し屋をやめたいと思うようになる。
そのあたりから物語は少しずつ動き出す。
連作集で繋がっているけど独立している物語、後半は書下ろしだ。
この書下ろしが見事にすべてをまとめてくれる。
それはどんな人間にも生活があって、多かれ少なかれ、大切な人間と出会う瞬間がある、ということ。
ただの会社員でも、殺し屋でも、日々苦悩しながら生きていくことには変わりがない、ということ。
「美化すんな! 人殺しがのほほんと生活してるとかおかしいだろ!」
みたいなツッコミが仮に兜に伝えられたら、「いや、まあ、本当にそのとおりだ。申し訳ない」みたいなことを言ってくれるのだろう。
まとめ
最近、読むのにカロリーを使わないから、エッセイをよく読んでたんだよ。
読んだはしから忘れていってもいいくらいの、毒にも薬にもならないようなやつがちょうどよくてさ、本当にただ暇つぶしでしかないようなやつね。
真面目に小説を読んだのは久々だと思う。
読んでよかった。