ラバー・ソウル

ビートルズのラバーソウル
硬くないが、壊れない。

かぶとむし

ビートルズの、Rubber Soulというアルバム。
このアルバムは全作の中でも一二を争うくらい好きだ。

ビートルズという名前自体がかぶとむしのbeetleと音楽的リズムのbeatの言葉遊びであるように、本来はrubber sole(靴のゴム製のソール)という言葉をもじってゴム製の魂になったらしい。

ってのはたった今調べたから知ったこと。
何かソースがあったようなないような、ぼくはずっと「硬くはないが壊れもしない」という柔軟さのメタファーとしてrubberが使われているのだと思っていた。本当にそうなのか、ただのぼくの勘違いなのか、これについては確認はしない。

余談だがジュディマリのLOVER SOULはさらにもじったものだと思う。

中期ビートルズはロックンロールに多様なジャンルを取り入れていく変革の時期だったから、そんなぼくの邪推もハマるように感じる。

おそれ

最近、そんなぼくの言う意味でのラバー・ソウルを持っていたいなとよく思う。
要は柔軟だけど芯のある性格でありたいみたいな。

尖っていることが格好いいと思っていた。
格好いいから尖っていたいと思っていたし、そう思っているうちにそれが素になっていった。

今、昔からの知り合いと話すと「丸くなった」とよく言われる。
これは人間的成長だと好意的にとらえている。
まあ歳食えば誰でも丸くなるんだろうけれど。

でも、たぶん、半分くらいは、おそれからきているような感覚もある。
おそれ?

おそれ2

人生も3分の1くらいは終わって、それはきっと凍らせたスポーツドリンクみたいに、すごく味の濃い部分が前半にある。
いや、0歳から80歳まで同じ濃度で過ごしているっていう猛者もどっかにいるかもしれないけどな。

ぼくはやっぱり世間で青春と呼ばれるような時代に過ごした時間が、一番濃度が高かったように思う。
10代後半から20代前半が人生のピークだなんて、怖いといえば怖い。

これはひとつの例えで、薄まったスポーツドリンクも、別に悪いもんじゃないけどさ。
自分で味足したっていいし。そうして人生を少しずつ色づかせていく毎日だ、一生懸命に。

そんな青春時代は、世界が広がっていくことが当たり前で、歩けば歩いた分だけ遠くに行けた。
どんどん知らない人と知り合い、仲間になっていった。
ぼくが尖った人間だからうまが合わないと感じる人がいても、その人は放っておいて、また歩いていくだけだ。どこかにまた誰かがいて、そいつとよろしくやれるんだから。

でも最近はそうじゃない。

あいつ、最近連絡とってねえけど、何やってんだろうな? ま、こっちから声かけるほどじゃないけど。
あ、フェイスブック更新されてる。生きてたんだ。じゃあいっか。うん。

こんな風に、なんだろうな。人間関係の結び目が弱くなっていく感じ。

これがぼくの言う「おそれ」だ。

まほう

学生時代の友達は、果たしてどれだけが現在の友達なんだろう?

同窓会なんかで久々に顔を合わせれば「よお! 変わんねえな!」なんて笑顔で言うのだろうけれど、それは過去にあった関係を確認しているだけで、結局のところ時計は止まったままなのだ。

「実はあの時、〇〇くんのこと好きだったんだよね」とか言って止まった時計を動き出させた魔法使いとかも、いるみたいだけどな。レアケースだな。あ、〇〇くんはぼくじゃないから。こういうの経験ねえな。みんなシャイなんだから、まったく。
今好き、じゃなくて、好きだった、ってのが憎いよなあ。ずるいよなあ。

「今好きなら返事のしようがありますよ! 過去の話されてなんて言えばいいんですか!」
なんて返事するのが正解なのかアフロ田中で議論していた気がするけれど、模範解答は忘れてしまった。

話が逸れた。
ま、逸れたところで本線なんてあってないようなもの。

人間関係が弱まっていくこと、気づかないうちに知り合いが他人になっていくことが怖い。
誰かの中に生きているぼくの像が薄くなっていくことが怖い。

だから、なるべく、自分の目に映る人たちとは楽しい時間を過ごしたいんだよね。
格好つけたくないっていうか、自分を演出したくないというか。
そのためにはピエロにだってなるよ。変なプライドとかエゴを守るよりも、ぼくの大事な人たちを守る方が優先だ。

それが格好悪いと思うなら、そうかもしれない。
芯はあっても柔軟なのがラバーソウル!
格好悪くても、こっちのほうが幸せだし、どうせ格好悪いと思う人はぼくの大事な人にカウントされてないぜ。あ、尖りが出た。

昔はこんな話をすること自体が格好悪いと思ってたかもしれないけどな。

みつを

だから、最近、どんなちょっとした関係性でも、知り合う人をすごく大事に考えている。

なんやかんやいっても、長く会っていない人がぼくのことを忘れていくのは仕方がないことだからな。
今親しい人、これから知り合う人とどう付き合っていくかの方が大切だ。

相田みつをも、「どっちかが柔らかければ壊れないんだなあ」みたいなこと言ってた。
そういう話だ。