ジョークを言うならオチまで早まるな

ツイッターのロゴ
アウトプットの精度の話。

カニエ・ウェストの話

カニエ・ウェスト(だっけな? 多分そう)が言ってた、「アウトプットする際に熟慮するな」だって。
悪い意味でバズることも多いが、いい意味でも多いカニエらしい言葉。

これになるほどと思ったぼくは、それ以降あまり責任感なくネット、とりわけSNSを使うようになった。

何かを発信するとき、言うべきかどうかというのはあとで考えることにした。
間違ったことを言ったら気づいたときに「ごめんなさい」でいいんじゃないかと。
それよりもその瞬間思ったことの鮮度のほうが大事なんじゃないかと。

いやもちろん有名人だったり発言に影響力がある人だったりはある程度考えないと駄目なケースって多いけど、ぼくらみたいな一般人が使うSNSってもっと気軽でいいんじゃないかな。

特になんでも揚げ足取りみたいなことで盛り上がる気質の人が多いツイッターは、もっとゆるくいこうぜ、と思う。

だって言っても「つぶやき」だぜ?

ブログの話

ブログを書く時も、「これについて書こう」と決めている時もあるけれど、見切り発進で書き始めることも多い。
今回も割とそうだ。

小説とか漫画で作者がよく「キャラクターが勝手に話を展開する」ということを言うが、そんな感じだ。
書き始めたら「ああこれも書いておこう」なんて思い付きが自然に出てくるから、それに任せて書いている。

100点と納得するものをいつまでも練り続けるより、70点でいいから連発しようって感じ。

この考え方は昔からそうだった。

高校生の頃で覚えているエピソード。
化学のレポートを出さなくてはいけなかったが全く仕上がらなかった。
減点されるが期限より遅れて出すか、それとも期日を守って未完成のまま出すか、ぼくは迷わず後者を選んだ。
どうにか先生に媚びようと思って(先生が美人だったというのもある)、表紙に先生の似顔絵を描いた。
A+が最高評価で50点、Aが45点、A-が40点…という方式で、最終的に評価はD-、-5点だった。

出さない方がよかった。

SNSの話

SNSと言っても常用しているのはツイッターくらいしかないから、ツイッターの話になる。

ツイッターは基本的に本当にどうでもいいことばかりつぶやいていると思う。
自分で後で見返しても何を言っているんだろうと呆れるか、何を言っているのか本気で分からないことはよくある。

でもまあ、それでいいのかなと言う気がする。

あとで恥ずかしくなって過去のツイートを全部消してしまうような人がたまにいるけれど、考えすぎなのではと思う。

どうでもいいことの集積がツイッターだし。
これは140字で伝えられる内容が日本語と英語だと日本語にだいぶ分があるという由来もあって、日本人はマジな話をツイッターでしすぎらしいよ。

FBでもツイッターでもインスタでも現実でも対人関係のしがらみにとらわれて言いたいことも言えない、っていうのはかなり不自由な環境だと思う。
ぼくは現実の知り合いはネット上にほぼ持ち込んでおらず(例外的にネットで知り合った人と現実で会う、という逆パターンはあったりする)、現実の知り合いに関する不平不満も余裕で言えるし、黒い部分汚い部分を出しても別に気にならない。
さらに言うと、現実の知り合いのそういう裏の顔みたいなものも率先して見たいとは思わない。

誰でも人に見せない面ってのはあるし、日記なんて見られたら恥ずかしいに決まってるもんな。

締めの話

どこでも常に自分をブランディングするっていうのも、ウェブ上で金勘定するには必要なことだ。
ぼくはそこにそんなに必死にならないしなれないから、フラットなまま、共感できる人とだけつるんでいればいいかな。

でも全然意見の合わない人が食ってかかってきた時もそれはそれで面白い。
疲れるけどね。