Smoking Kills

smoking
健康で文化的な最低限度の生活。

Is time money?

Time is moneyは、時間を甘く見た言い回しだと森博嗣が述べていた。
特に健康で活動的な時間は、お金よりも何倍も貴重とのこと。

まあ、そうか。

俗な人間でしかないぼくからすれば、健康で活動的な時間にお金がなかったらその価値はずいぶん下がるような気もするけれど。
比較は難しい。

が、少なくとも健康は大事だなと最近よく思う。老いていくにつれ、自身を平均的な体調に維持するのも意識していないとできなくなってくる。
今まで痛くなったことのない身体のどこかが痛みだすと、もしかしてこれはやばい病気なのかもしれない、と考える。
昔なら冗談で済んだところが、リアリティを伴ってくる。

歳はとりたくないが、とらないではいられない。

Who cares?

さて先日ツイッターやブログを介して知り合ったソルトさんという方とご飯を食べに行った。

彼は「チャーシューが歳を重ねて食べられなくなった」と言う。
脂身は身体に良くないという旨の主張をしながら、ぼくたちはたばこを吸っていた。

ポジティブな見方をするのであれば、たばこは身体的な健康を損なう代わりに精神的に健康になっていると言えなくもない。
でも、冷静に考えると、たばこで気分転換とかほっと一息みたいな効果は、喫煙歴が長いほど薄まっている。
吸って精神が健康になるのではなく、吸っていないと精神が不健康になるだけだ。

ぼくはたばこがないとイライラする、みたいなことはないけれど、意識が「たばこ吸いたい」に支配されて集中力が著しく低下する。

そしてぼくは人生初の禁煙に失敗した。

Ain't you sing the blues?

また別の友達が「たばこを長年吸っている人は肌の質感や声で分かる」と言う。

そんな明確な差が出るもんかね?
ぼくはあまりピンとこなかった。

「俺、人生の半分くらいたばこ吸ってるけど、声ガラガラじゃないよ」
「あんたは元々ハスキーだから」

どういう理屈なんだ。

たばこを吸わずに生きてきたぼくがどこかの平行世界にいるとしたら、果たして今のぼくよりきれいな声で若く見えるのだろうか。

確かに明らかにアルコールとたばこで喉が変質したのだろうという声の人もいる。
ジャズやブルーズを歌うにはいいけれど、一般的にはあまり好ましい状態ではないかもしれない。

どちらかと言えば、ぼくはジャズやブルーズを歌いたい気もする。

Is it hypocrisy?

周りに迷惑をかけない、という理由で電子たばこに移行した人々が、あの短いたばこ部分(呼び方がわからない)をその辺にポイ捨てするのは大いなる矛盾だ。

自分の肺は汚しても、街の景観は汚さない。
健康を損ないながら、プライドだけ維持するのは偽善か?